本作品は『勝手にしやがれ』『小さな兵隊』につづく、ゴダールの3作目の映画。
『勝手にしやがれ』はクラシック要素が残っていて鑑賞しやすいですが、この作品ではゴダール節がかなり表面化してきます。
訛りのあるフランス語をはなすカリーナと、ベルモンドとブリアリの3人が繰り広げる、ゴダールお得意のカップル愛ストーリー。
Table des matière
作品情報
『女は女である』
原題 « Une femme est une femme »
監督 ジャン -リュック・ゴダール
音楽 ミッシェル・ルグラン
出演 ジャン-クロード・ブリアリ
アンナ・カリーナ
ジャン-ポール・ベルモンド
公開年 1961年
上映時間 84分
ジャンル コメディ・ロマンス
あらすじ
パリでストリップの仕事をしているアンジェラ (アンナ・カリーナ)。彼女は子供が欲しくなり、同棲相手エミール (ジャン-クロード・ブリアリ) に話すが、彼はまったくその気がない。それより自分の自転車のほうが大事な様子。そこで、彼らの親友アルフレッド (ベルモンド)に頼んで、アンジェラとの子供をつくってもらう話になった。
実はアルフレッドは、アンジェラに気があった。そんなアルフレッドの傍ら、彼女はやっぱりエミールを愛していると思い至る。そこでアンジェラは「ついにアルフレッドと寝た」とエミールに言う。それを聞いてあせったエミールは…
感想
ゴダールの作品って不思議で、ポジティブにもネガティブにも両極端に感想が書けます。要は彼のスタイルが「斬新で新鮮」と思うか、または「ムチャクチャ」と思うか、なのでしょう。
以前も感想に書きましたが、彼の作品はいつも見終わったあと「つまらない」と思います。この作品もそう。基本的にテンポもストーリーもゆるいので、最初の15分くらいで観るのやめようかと何度も思うくらい。
でも何だかんだとズルズルと見てしまうのがゴダール。まあ、ベルモンドのおかげも大きいと思います。
さてと、この作品も例にもれず、冒頭の音楽の音量が大きすぎてイライラしました。俳優の会話なんて聞こえない。せっかくのルグランの音楽も、切ったり再生したりの繰り返しが、ひつこい。
ゴダール流のメッセージを強調する方法なんだとは思いますが、観客の神経を逆なですることが目的なんじゃないかと疑ってしまいます。
カリーナとブリアリのアパート内のやりとりもダラダラと長くて、お互い口きかないと決めてからは、本のタイトルを見せ合ってケナし合うとか、カップルの痴話喧嘩を延々と見せられてる気分になります。
文学の引用、人物の顔に色フィルターをのせる、作品にテーマ色をつくる、人物がカメラに向かってしゃべるなど、ゴダールのテッパン技がちらほら見受けられますが、全体に中途半端なので『気狂いピエロ』のテスト版みたいな出来ぐあい。その点からみると『ピエロ』の完成度はかなり高いです。
会話はコジャレたものが随所にちりばめてあります。ジャンヌ・モローをチョイ出演させて、彼女が撮影中だったトリュフォー映画 « Jules et Jim » ( 突然炎のごとく) にふれたり、自分の作品『勝手にしやがれ』をひっぱってきてベルモンドにしゃべらせたりと、しっかり宣伝していましたね。
ちなみに、一番最後のカリーナとブリアリのセリフは、言葉遊びでした。
« Tu es infâme ! »
君は「最低なヤツ」だ!
« Non je suis une femme »
いや、私は女性よ!
カリーナはブリアリが “女性” を「un femme」アンファムと言ったと思い、正確には「une femme」ユヌファムだと、文法的に訂正します。
でも彼女、もしかしたら「infâme」アンファム「最低なヤツ」の方だと、ちゃんと理解してたのかも知れませんね。
作品タイトル『女は女である』はここから来てるのでしょう。「女」は「un femme」でも「infâme」でもなくて「une femme」だと。
ストーリーはあまり練られてないし、おまけに尻切れトンボ感のある結末ですが、俳優3人がとっても素晴らしい演技で、作品をうまく支えてます。ゴダールって舌ったらずな子供っぽい女性がスキなようですねぇ。
『気狂いピエロ』は、これでもかっ!てぐらい教養がひけらかされるけど、この作品はゆる〜く鑑賞できるので、ある意味かんじの良い作品でした。