フランス映画といえば、ヌーヴェルヴァーグを思い浮かべる人が多いのでは?

「フランス映画って独特だよねー」と言うあのイメージです。

ほんとうはヌーヴェルヴァーグ以外にだって、いいフランス映画がいっぱいあるんですけどね…。

今回はその、フランス映画といえばの王道作品のひとつ《勝手にしやがれ》の感想です。

スポンサーリンク

作品情報

《勝手にしやがれ》
原題  « À bout de souffle »
監督 ジャン=リュック・ゴダール
原案 フランソワ・トリュフォー
出演    ジャン=ポール・ベルモンド 
   ジーン・セバーグ 

公開年  1960年
上映時間 89分
ジャンル 犯罪・ドラマ

あらすじ

ならず者ミシェルは、マルセイユからパリに向かうために車を盗んだ。道中、検問で後を追ってきた警察官を撃ち殺す。

パリに到着したミシェルは、マルセイユで知り合った米人学生ジャーナリストのパトリシアと、シャンゼリゼで出会う。ミシェルは彼女の部屋に居座り、アントニオという貸しのある知人に連絡をとろうとする。

ある時、パトリシアは妊娠したことをミシェルに告げ…

ミシェルはまたしても車を盗み、警察官殺しで指名手配中として、新聞に彼の顔写真が載る。警察はパトリシアにもコンタクトを取り始める。

ある日パトリシアは、オルリー空港で開かれる小説家パルヴュレスコのインタヴューに出かける。かたわら、ミシェルはようやくお金を受け取るランデブーをとりつける。しかし、もう警察はそこまで迫っていて…

感想

ヌーヴェルヴァーグの先導作。アヴァンギャルドな映画として、当時の話題をかっさらったことで有名な作品です。カメラの使い方にクセがあり、例えばシャンゼリゼ通りの場面では、カメラは道路に対して完全に平行ではなく少し傾いてます。場面をブチブチ切ってつなぎ合わせたり、移動する人の動きと共にカメラにブレを入れたりと、ある種のカジュアル感を出しています。

今までの映画の撮影型を破っていて、だから悪いというのでなく、とても斬新。作品におけるカメラの存在を、観ている側に常に意識させる結果となっています。

【以下ネタバレ↓】

ベルモンドの演技はとてもナチュラルなので、妙な現実感があります。女の金をコソコソ盗むような、最低な男。学生の頃に初めてこの作品を見た時は、ベルモンド(=ミシェル)に無性に腹が立って、彼の出演する他の作品さえも見たくない!という状況にしばらくなりました。それくらいミシェルのキャラがベルモンドに馴染んでいたのだと思います。

ジーン・セバーグが彼を警察に売った時なんか、これでやっと腹の虫がおさまる!と思ったのも束の間。ベルモンドは焦るどころか呑気に『もう疲れた〜、刑務所に行きたい〜』とか、死に際でさえも女に向かって『汚ったない女だ』とか言います。

あの嘲笑的な真意の読み取れない顔で言うから、余計にハラがたつのです。最後の最後まで、このヤロ〜!と思わされ続けました。

登場人物にここまで直接的な感情を抱くことはマレなのですが、ヌーヴェルヴァーグ独特の肩のチカラが抜けたラフなフィルム感が、観ている自分を自然に作品内に同席させたのかもしれません。(ですが一応「この作品は」と言っておきます。前衛指向が行きすぎてなくて、観客をそっちのけにしてる感じを受けない作品だから。)

おまけ 

【ネタバレ】

最後のオチですが、トリュフォーの原案にはなく、ゴダールが加えました。撮影が終わった当初、ゴダールはその出来ばえにガッカリし、「やっぱり最後は死んでもらわなきゃ」となったそうです。この場面、ベルモンドが警官に撃たれてから倒れるまでの時間が長すぎですが、「死」を本人が納得して受け入れてる感がよく伝わってくる演技です。作品の締めとして、ミシェルの死を加えて正解だったと個人的には思います。