フランスの古い本。やっぱり紙の本って素敵

今日は、フランスの古い本の話。

私にとって「古い洋書」といえば、映画ネバーエンディングストーリー (古くてごめんなさい) の主人公が読んでる、紋章入りのあのゴツい本。

もう少し新しい例だと、ハリーポッターのホグワーツの魔法薬書みたいの。

つまり、革装丁で分厚いブロック感あふれる感じが、私のイメージする「古い洋書」です。

左 Walter Scott « Quentin Durward » Hachette&Cie, 1910
Paul d’Ivoi « La Mort de l’Aigle » Combet&Cie, 1901

 

先日、家に眠っている古い本を整理しました。

それらの本は、プラケースの中に入ってるとは言え、もう何年も湿気た地下室に積み上げられたまま。

出るわ出るわ、ウン十年の本と埃の山。目や頭は痒くなるし、鼻も手袋も真っ黒。

作業は大変ですが、面白い本もあって、その度に手を止めて、古い洋書に見入ってしまいました。

それらは、目を見張るような骨董品ではないですが、丁寧に作られた良き本もあったので、少し紹介したいと思います。

↑これはSFの父、ジュール・ヴェルヌの『海底二万里』エッツェル出版。

出版年がどこを探しても見つからないけど、多分1897年あたり。本のサイズはタウンページくらい。

私はあまり古書は好きでないですが、こういう装丁だと古本というよりアンティークぽくて、インテリアとして良さそうです。

↑挿絵は味のある版画。たまに色刷りのページもあります。

 

 

こういった豪華な装丁本は、昔はよく学校で賞をとった生徒への記念品にしたようです。

1886年7月29日付の贈呈記念サイン入り。↑

 

 

そして昔は、ページが袋綴じのまま販売されていた本もあります。

その場合、読者がページをナイフで切りつつ読み進めていきました。楽しそう。

しかしこの本は、これから終盤ってところで、読書放棄されたもよう。なぜ?↓

ページが袋綴じのまま

青少年向けGuy de Maupassant « Une Vie » Albin Michel, 1933

よくよく見てみると・・・

あ、大きく落丁してます。

気の毒に、いいところで話が途切れたでしょう。

せめて結末でもと思ったのか、ちゃんと最後の方のページは切って読んでありました 。

 

おやおや、この本からは、古い電車のチケットが出てきました。↓

Flaubert « Madam Bovary » Alphonse Lemerre,1937

↑本のサイズは手のひら大。チケットはごく一般的な電車切符の大きさなので、本文の文字サイズ、分かりますか?ゴマ粒です。

 

そして、今回発掘された一番古い本はコレ。保存状態が悪すぎなのが惜しい。↓

« Répertoire Général du Théatre Français, tome 4, Corneille  » Chez Mme Veuve Dabo, 1822 

本の小口部分には、マーブル模様が入れられ、凝ってます。

このコルネイユの本は、先のフロベールの本よりもっと小さい手乗りサイズで、本文の文字なんて蚤サイズ。

昔の人は老眼とか問題にしなかったのでしょうか。

 

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また近いうちに、古本紹介の第2弾をやろうと思います。重い腰を上げて始めた古本整理ですが、実際始めてみると本を物色するのが楽しくて、作業がはかどらなかったのが実情です。

本の虫だった私は、渡仏してからは読書と疎遠になりました。日本語の本を入手するのが手間なのもありますが、普段読書していた時間をネットの閲覧に充てるようになったのです。

でもここ数年、また紙の本の生活に戻りつつあります。

ある日、フランス人の友達がくれたアゴタ・クリストフの「悪童日記」がきっかけでした。

フラ語の小説だなんてえらいもん貰ったと引け腰だったのですが、ためしに読み始めたら面白くて、なにより紙の本のページをめくる快感も相まって、あっという間の一気読み。

そこから、自分にも読める、そして読みたいと思うフランス語の本を、本屋で選ぶようになりました。

手に取って本を選ぶ楽しさは、デジタルでは味わえません。やっぱり本はアナログよね!

と雄叫びたいところですが、年にはあらがえず、老眼の問題が浮上しています。画面のバックライトがあるだけで、文字ってかなり見えやすいんですね。正直驚いています。

いずれKindle派になるかもしれないから、今のうちにたくさん紙の本を読んでおこう。

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