レンヌ・ル・シャトーの教会

南仏【レンヌ・ル・シャトー】村を訪ねて

 

ある夏の日。

南仏ベジエに住む、パリ出身の元ヒッピー (れっきとしたボボ) の知人が、面白い村があるといって案内してくれたのが、

ここ【レンヌ・ル・シャトー】です。

 

下調べしないでと言われていたのを、こっそりネットで調べてから行きました。

確かに予備知識なしで行ったほうが、夢があって楽しかったかもしれませんね。

【レンヌ・ル・シャトー】カタリ派の財宝が眠る村

レンヌ・ル・シャトー村は、カルカソンヌから車で南へ1時間ほどの、山中にあります。高台にある孤立した小さな村で、周辺には、乾いた感じの空地や畑しかありません。

レンヌ・ル・シャトー村の入り口

村の入り口には立派な村名の石標が立っていて、写真には写ってませんが「村内を発掘するな」という標識もあります。実はこの村、どこかに財宝が眠っているのでは?という噂があるのです。

時は遡り…

レンヌ・ル・シャトーの教会

教会入り口

1885年のある日、寂れたこの村に33歳の若い神父ベロンジェ・ソニエール (1852-1917) が赴任して来ました。彼は翌年、とある金持ちな婦人から多額の寄付金を得て、ガタガタだった教会をピッカピカに改築します。

改修した聖マリ・マドレーヌ教会は、当時流行りだったシュルピシアンスタイルの装飾で飾られます。入ってすぐの聖水盤は悪魔、聖マドレーヌ像の足元には頭蓋骨もあり、なかなか奇抜です。

レンヌ・ル・シャトーの教会の悪魔の聖水盤

悪魔の聖水盤

ソニエールの派手な投資は、この教会だけでは終わりませんでした。土地を新たに購入して、書斎館 (マグダラ塔)、接待用の屋敷 (ベタニア館) を建て、彼の生活ぶりも贅沢なものに変わります。

と同時に、教会裏手の墓地を役所から苦情がでるまで必死になって掘り返すという、奇行も目立ち始めます。

ここで疑問になるのが、どうやって彼は突如お金持ちになれたのか?

レンヌ・ル・シャトーのマグダラのマリア像

マグダラのマリア像

1910年ついに、ソニエールの豪勢な暮らしぶりに疑問を持った教会裁判所の調査が入り、ミサの不当濫用ということで、彼は村の教会を外されてしまいます。そして金の出所を白状しないまま、1917年にこの世を去るのです。

彼の最期の告解に来た司祭も、その告白の内容に驚いたのか、秘蹟を授けるどころか真っ青になって、部屋を立ち去ってしまったといいます。どんな話だったのか、色々と想像してしまうところですね。

レンヌ・ル・シャトーのマグダラの塔

マグダラの塔

実はひとり、真相を知っている女性がいました。18歳でソニエールの家政婦として、彼と共にこの村にやって来て、彼の財産を引き継ぎ、最期までベタニア館に住み続けた女性です。

もう何だかすごくアヤシイですが、この女性もいつかは告白するといいつつ、晩年は病気で倒れ、真実を明かさないまま亡くなります。

よく語られる美話に、ソニエールが教会の改修工事をした時、古い祭壇の柱の空洞からキリスト教の歴史を覆す貴重な羊皮紙を発見した、というのがあります。

ですがこれは、後年にベタニア館を買収してレストランとして開業した人物が、客集めのために広めた作り話と言われています。

最有力説は先にも述べた、ミサの濫用です。おまけにソニエール周辺で、謎な死を遂げている人がいるという話もあり、とにかくクリーンな人ではなかったようです。潔白なら、金の出所くらい説明できただろうしね。。。

ミステリーだけでなく、教会に悪魔やドクロの装飾を用いるなど、文化遺産面でも興味深い一面を持った村です。アクセスの悪いヘンピな所にある村ですが、来訪の価値は十分にあると感じました。

ビュガラッシュ

↑レンヌ・ル・シャトー村からは、上層部の地層が下層部より古い、逆さになった山「ビュラガッシュ」も見えます。

世界終末を唱えるサヴァイヴァリストたちの隠れ家だとか、エイリアンの基地だとか、カタリ派や西ゴート族やテンプル騎士団の財宝の隠し場、挙げ句の果てには、キリストの聖杯が隠されてるといった、何かと話題の尽きない山です。

ミディピレネー・ラングドック一帯はカタリ派の歴史の土地で、その財宝が今もどこかに眠っている…というような話はよく耳にします。

そんなこんなで、ロマンあふれるピレネー山脈寄りの南仏 (オード県、エロー県あたり) は、60-70年代はフレンチヒッピーたちの聖地だった場所でもあるのです。

レンヌ・ル・シャトーの教会
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