前回の記事の【ラヴェルの終の家】を訪問中、一緒に来ていた友人が「この家どっかで見た…」とずっと肌寒いことを言ってたのですが、、、
実は【レオナール・フジタの家】だったと言うのです。
確かにラヴェル家もフジタ家も、立地環境や、芸術家くさいコダワリや遊び心は、すこし似たものがあるかも知れません。
でも明らかに、画家であるフジタ家のほうが、自然光の明るさを意識している家だったと思います。
そこで今回は、その友人がフジタの家に連れて行ってくれました。
訪問は予約制で、ガイドが付きます。内部の写真撮影は禁止でした。
レオナール・フジタの終の住処を訪ねて。
藤田嗣治 (1886-1968) フランスではツグハルよりも、洗礼名「レオナール・フジタ」でよく認知されている、フランスに帰化した日本人画家です。
自慢じゃないですが、私は絵画鑑賞の仕方があまり良く分からず、モナリザなどでも、有名だしとりあえず拝んどくかの有様。と言いつつもそれなりに気になる画家はいて、そのひとりが藤田嗣治です。
彼の作品『カフェ』のポスターを見て一目惚れし、速攻に画集を購入したのが20年前。
もともと絵本のイラストは好きで収集癖があったのですが、フジタ作品の風合いの中にも、それに似た惹かれる何かを感じたのです。とくに1940年代後半からの彼の画風、とりわけ子供をテーマにした作品は独特な美しさがあって大好きです。
↑フジタの町「ヴィリエールバックル」
そのフジタが1960年から最後までを過ごした家が、パリの南西、人口1200人ほどの町、ヴィリエールバックルにあります。
家は町の中心から歩いて5分ほど。ラヴェルの家と同じで、道路より低い斜面に建てられており、1階は台所と食堂、2階は玄関と居間と寝室、3階がアトリエです。
元は小さい庭の敷地だったのを、現在は市が隣の敷地と合体させて記念館として拡大しています。
見学はまず、フジタが植えたモミジのある1階のテラスから、台所へ入ります。1階と言っても、道路に対しては地下階層なので、天井は非常に低く作られています。
60年代の近代的な流し台には電化製品や調理器具が並び、食卓にはフジタ作の食器が置いてありました。几帳面で、自分で作れる物はすべて手作りしたようですね。
階段を登って2階の玄関広間に到着すると、作品『誰と戦いますか』の格闘家たちがコッチを睨みつけています。
そこからイソイソと居間に入ると、奥には寝室スペースがあり、その仕切りに衝立てが置かれています。
衝立てはもちろん彼の手作り。版画やブリキ製ルリーフの細かいモチーフで装飾されていて、ここにも彼の几帳面さが窺えました。居間の音楽プレーヤーには、美空ひばりのレコードが入っていました。
インテリアとして特徴的だったのが、「真っ白の壁」に「焦げ茶」の組み合わせです。焦げ茶は、天井の梁であったり、アイアン製の製品 (燭台・階段の手すり・フックなど)や、重厚な木製家具です。
彼が気に入って南米から持ち帰った、手彫りの無骨さが美しい大きな収納家具は、作りが弱く、実際には使い物にならなかったそうです。
扉にもこだわっていたらしく、これまたスペインから取り寄せた木彫り扉を使うべく、玄関や部屋の入口の寸法改修工事をしたという徹底ぶり。彼は工芸品に感じる美を、とても大切にしたようです。
3階は屋根下で、全空間が彼のアトリエです。
入って一番目を惹くのは、奥の暖炉周辺の壁一面に描かれた、後にランスの礼拝堂に描くフレスコ画のための練習だったという作品。ちびちびと描き足す度に、目立たないように上手く日付を記入してありました。
アトリエには、筆や絵の具、カバン、人形、彼が愛した身の回り品があり、シンプルにセンス良くまとめられた1階や2階にくらべ、一番生活感がしたのがこのアトリエでした。
残された物を外光から保護するために、雨戸を閉め切っており、室内灯下での見学でしたが、実際はとても明るい自然光いっぱいのアトリエだということです。
決して広い家ではありません。でも窓は大きく部屋にはたくさん光が入り込み、隣人の視線もなく、とても落ち着く環境の家でした。
つぎは、ランスの「フジタ礼拝堂」を訪ねてみたいなあと思いました。
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サーモンとエビの前菜
町の中心に2つほど人気レストランがあり、そのうちの一つ「ラプチットフォルジュ」でお昼にしました。予約を入れておらず、お手軽な20€コース席は満席だったので、33€コース席でよばれました。とても芸術的なお料理で、目も口も楽しませてもらいました。
7, route de Gif – 91190 Villiers-le-Bâcle
パリから車で1時間ほど、ヴェルサイユから車で20分ほど。