パリの8月後半は、夏っぽくない、肌寒い曇りの日が意外と多くあります。
この日もあいにくの小雨でしたが、天気なんて気にならないほど、素敵な探訪になりました。
今日はノルマンディの小さな街「ジゾール」を紹介します。
Table des matière
ジゾールの城塞
“motte” モット(丘)上に建てられた城塞
パリの北70kmノルマンディ地方にあるジゾール « Gisors »は、セーヌ川の支流エプト川沿いにあり、11世紀に栄えた歴史の古い街です。
ここには有名なジゾール城塞 (跡) があります。
この城塞は、1097年にイングランド王ウィリアム2世の元に築城され、1193年にはフランス王フィリップ2世によって乗っ取られます。
そして百年戦争の間は、再びイギリスが城を占領し、のちにフランス側に戻されて、街と共に再改造されます。しかし1599年の宗教戦争の終わりには、城の傷みも激しく城塞としての価値も失われ、廃墟の道を辿ることになります。
イギリスの手に渡ったり、フランスの手に渡ったりと、複雑な歴史を持った城だったのですね。
私は城庭からのみの見学でしたが、冬期を除くシーズン中は週2回ほどガイド案内があり、ダンジョンやカーヴを見学させてもらえるようです。
城塞の丘麓にある財宝への扉…
ところでこのお城、近年ちょっとしたことで注目される事になりました。それも「テンプル騎士団の財宝が眠っている」というウワサが流れたからです。
ことの始まりは1941年。
当時この城跡はドイツ軍の燃料庫になっており、一人のフランス人が守番をしていました。その彼がある日、井戸壁から横穴を掘り始めます。そして2年後になんと、丘の内部にロマネスク様式のシャペル (幅9m,長30m,高4.5m) を発見したというのです。おまけに、そこには19の石棺と30の金庫があったと証言。
この話は騒動になり、1960年には考古学チームが発掘に乗り出し、1964年には軍まで調査に送り込まれます。もちろん何も見つかりません。にもかかわらず、その後も宝探しに穴掘りにやって来る人は後を絶たずで、モット(丘)は荒れ放題の危険な状態に。
そんなウソ臭い話がそこまで盛り上がったのも、実際に1158年から1161年の間に、3人のテンプル騎士がこの城塞に駐在していた、という史実が残っているのだそうです。それが余計に人々のミステリー心をくすぐるのかも知れませんね。
芸術の宝庫サンジェルヴェ・サンプロテ教会
ロマネスク様式のファサードと凱旋門
この街でもうひとつ紹介したいのが、« Eglise St-Gervais St-Protais »サンジェルヴェ・サンプロテ教会です。
クワイヤと身廊 (長70m,高24m) は13世紀のゴシック様式で、ファサードは16世紀のルネサンス様式です。
エグリーズとは言えカテドラル級の大きさがあり、さまざまな芸術作品や様式が組み合わさった、とても美しい教会です。
百合とイルカの紋柱
ご当地グルメ
ジゾールのスペシャリテは « Les pommes de terre de Vexin »「ヴェクサンのジャガイモ」です。ジャガイモの形をしたチョコなので、八百屋ではなくブロンジェリーで見つかります。ヴェクサンとは、この街のある地域の呼び名です。
昔の共同洗濯場
ジゾールは、電車だとパリのサンラザール駅から1時間半ほど。電車での移動も素敵ですが、パリは郊外に出るとすぐに、景色も交通網も田舎仕様になるので、お出かけにはやっぱり車が便利。それに、思いもかけず可愛い村に出くわしたりもするので、のらりくらり寄り道をしながらパリに帰るのが一番おすすめなスタイルです。
参考参照 : Ville de Gisors