一口ほおばると、
キャラメルの甘苦い味と、ラム酒とバニラの濃厚な香りが、
口の中にむわ〜と広がるフランス菓子【カヌレ】
外側はパリッ、内はモチッリ。
日本人好みな口当たりと、非常に後を引く濃い味。
1990年代に日本に上陸したときは、たいそうブームになりました。
もちろん食い意地の張った私は、興味津々、買いに走ったのを覚えています。
今日はそんな、ちょっと懐かしのフランス菓子「カヌレ」のお話です。
Table des matière
「カヌレ」の歴史をみてみよう!
カヌレの意味は「縦溝」
「カヌレ」のフランス語は、いくつか書き方があります。
canelé, cannelé, canelet… 現在は前2つが主流。
語源はガスコーニュ方言の canelat で「縦溝」を意味する言葉です。
↑例えば古代ギリシャの柱身に施された「縦溝」
カヌレっぽく見えますね…
カヌレは修道女のお菓子?
「カヌレ」は18世紀のボルドー近郊、サントゥラリー市にあるアノンシアッド修道会 (お告げのマリア修道会) の修道女たちが考え出したお菓子が原型とも言われています。
そのお菓子はカヌラ、カヌロン (canelas, canelons) と呼ばれていました。でも実は、今のカヌレとは全く似ても似つかない、植物の茎の周りに生地を巻き付けてラードで揚げたお菓子だったそう…
そして1790年フランス革命の流れから、修道女たちが修道院を追い出されると同時に、このお菓子も一旦姿を消します。
しかし40年後、今のカヌレの原型のようなブロンズ型で焼かれた「ミラソン」という名前でレシピが復活。それが、時代とともに改良が加えられ、20世紀の前半に今の「カヌレ」が確立したと考えられてます。
カヌレが「黄身だけ」な理由
ボルドーといえば、ワイン。ワイン醸造の工程にコラージュとよばれる、澱を取り除いて液体をきれいにする段階があります。
この作業に泡立てた卵白だけを使っていたため、黄身だけが大量に余り、それを近所の宗教団や貧しい人々に配っていました。そうしてカヌレのレシピが、巷で作られていったとも言われます。
結局はナゾなカヌレ…
一番確かなのは、20世紀初頭にボルドーの菓子職人によって、12本の縦溝が入った現在のカヌレ型レシピが確立されたということ。でもそれ以前のカヌレの歴史は、実は明確ではないのです。
ボルドーは商港として栄えた歴史の街なので、バニラやラム酒が手に入りやすかったのは想像できますが、細かいことは不明。ナゾに包まれた歴史を持つお菓子も魅力的です。
それではまた、次回♪
Edélices. com- Quelle est l’origine des cannelés de Bordeaux ?
Oh my milk- La pâtisserie- Les secrets des cannelés
Le Petit Bleu- A la découverte du Millasson !