「君はいつも正しい」から正論メガネを外すまで。

  • 2023年11月10日

先日、友人と話をしていて、ふと昔の自分の出来事を思い出しました。

それはある日、自分が「正論」に囚われていると気づいた時のこと。。。

「君はいつも正しい」の真意に気づく。

思えば、正論と命令形が普通な環境で育ったのもあってか、大きくなると、私の思考も自然とそうなっていました。社会人になり、正論を振りかざす人は嫌われる、と聞いたことはあっても、自分のそれとは考えたこともありません。正しくロジックであることが大切で、それが良い事なのだと信じているからです。

評価も助言も分析も、筋が通って収まるよう、正論メガネを通して処理してしまいます。それがロジハラや上から目線になりがちという認識もないので、話す相手が誰かは関係ありません。悪意はなく、こう処理した方が効率よく、かつ円滑に物事が運ぶと単純に思っているのです。

当然ながら、家では彼とよくぶつかりました。そして、いつもこの言葉で締められるのです。

「君はいつも正しいよ。だから君とは話し合いなんて出来ない。」

正しいと思うのなら、これ以上どう話し合うのか?ひねくれでなく、彼の言う事が普通に理解できないのです。しかし、本来おだやかで辛抱強い彼が、こうした言葉を頻回に吐露するようになり、やっと私は「どこかおかしい…」と自問し始めます。必死で自分をスキャンしました。そして自分の根本的な問題に気づきます。

長く信じていたことが崩れはじめ、どうにもこうにも心許なくなって、例の親友ソニアに助けてもらい、ついに私は正論メガネを外しました。

正論メガネを外して物事を見てみる。

5人いたら5通りの見方があっておかしくないし、それで当たり前。みんながみんな、自分が正しい!と主張してたら、物事は前に進みません。人には「心」という複雑なものがあるので、白か黒かだけで判断しようとせず、微妙なグレーにした方が、皆がそれなりに納得できて上手く収まることもあるのです。その辺をきっちり消化できていないと、「私は正しい事言ってんのに何が悪いんだー!」の発想になるんですね。

正論が悪いわけではなく、要は使い方。意図的であろうが無意識であろうが、相手のぐうの音もやりこめるような使い方をするのは、相手にはもちろん、自分にも優しくない。相手の心情を考慮しつつ正論を持ち出すことのできる人は、心に余裕があって、器の大きい大人だと感じます。

正論ハラスメントとはよく耳にしたけど、真意を理解するのに、私は長い時間を要しました。それでも気付けてよかったと思います。正論メガネを外してからは、物事がよく見えるようになり、身の回りが円滑に進みやすくなりました。そして何より、自分が楽。「自分は正しい」の言葉にどこか不具合を感じてる人は、すこしメガネを外してみると、思わぬ発見や変化があるかもしれません。♪

ここで少し紹介しておきます。このブログにときどき登場し、私が心の栄養士として信頼している友人ソニアは、心理関係のプロでもスピリチュアル系女子でもなく、全く別の分野で活躍する女性です。彼女は考え方が非常に自由で柔軟でポジティブ、でも現実的で芯のある力強さを持っています。人に説教や助言を講じず、批判もせず、迎合するわけでもない。相手に自然と力が湧くような意見を返してきます。彼女と30分ほど話をするだけで心は充電され、気付けばHPが回復しているのです。自分と同い年だとは思えないくらい、彼女から学ぶことは多くあります。よくよく考えると、彼女は正論メガネをかけていません。だから人の心に栄養を与えられるのでしょうね。疲れた心に正論は不要です。そういう懐の深い対応が自然とできてしまうのが、友人ソニアです。

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