南仏コルビエール山脈・カタリ派の里を訪ねて②ケリビュス城塞

南仏カタリ派ゆかりの地、コルビエール山脈を訪ねる旅、第2報。

前回のペイルペルチューズ城に続き、今日はもう一つの人気所「ケリビュス城塞」を紹介します。

天空の要塞「ケリビュス城」

ペルピニャンから車で50分ほど山中を走ると、標高728mの岩山にそびえる「ケリビュス城」が見えてきます。

この日も猛暑だったため、少しでも涼しいうちにと、朝イチで観光しました。

駐車場から10分ほど山道を歩くと、城の入り口が見えてきます。

見学の所要時間は40分ほど。

ペイルペルチューズ城の見学と比べると、格段に運動量は少なくてすみます。

↑中世建築と廃墟感が入り混じる、独特な佇まい。

↑そそられる石の階段。

石の階段は狭くて急なうえ、何百年も人々の来訪を受け、踏面はツルツル。

おまけに風も強く、滑るわ吹き飛ばされるわで、ヒヤヒヤしました。

先のペイルペルチューズ城と同様、この城もフランス王国とアラゴン王国の国境に位置する、戦略的要所でした。

ケリビュス城の記録は1020年に遡り、当時はアラゴン王の領地でした。

1226年にフランス王の手に落ちるも、1239年にはアラゴン王を支持した領主によって、カタリ派修道士の隠れ家となります。

耐えかねたフランス王室が1255年に城を掌握してからは、その支配が長く続きました。

しかし、1372年に再度アラゴン王に奪還され、そしてまたフランス王に奪還され…

この城はずっと、フランスとアラゴンの奪い合いの歴史なのです。

ケリビュス城柱の間

↑美しいゴシック様式のヴォールトの柱の間

城はこじんまりしているので、どの時代も10〜15人くらいが駐屯していたそう。

大勢を養うとなると、水や食糧の運び込みも大変ですもんね。

しかしこんな孤高の城で、一体どんな食生活してたんでしょうか…

ケリビュス城のテラスから

コルビエール山村の暮らしを垣間見て…

このカタリ派の里とされるコルビエール山間は、60年代のフレンチヒッピーや、その後継的ババクールの郷です。

そのため、現在、山間部に点在する各村の住人たちの間には、代々土地の人だけでなく、実はパリなど大都市出身の人も案外います。

小さい村々が今なお元気なのも、そんなカルチャーを愛して移住し、かつコミュニティに定着できた人たちのおかげでもあると見えました。

↑テラスの展望は360度の絶景。
晴れなら地中海からピレネー山脈まで一望できる。

人口40人ほどの村に住んでいる知人は、20代前半でパリから子連れ移住して40年経ち、今ではすっかりコルビエールに根付いています。

今回の旅では、彼女のガイドで5日ほど山に滞在したのですが、実はかなり疲れました。

パンを買うのも、野菜買うのも、ガソリン給油するのも、車でクネクネ山道を走って他の村まで行く必要があり、とにかく不便。

彼女が自分でパテや燻製の保存食を大量に作ったり、家や車のメンテができたり、日曜大工を大胆にこなしてしまうのも頷けます。

人付き合いも独特でした。

どこの村の誰々とか、村同士で熟知し合っているらしく、ある意味みんな有名人。

都会の方が気楽にアノニムでいられるのではと思うと、なんだか不思議な感じがしました。

大きい世界で小ぢんまりいくか、小さい世界で有名でいくか…

それではまた♪