人生、選択だらけです。
自分で納得しようがしまいが、今の自分は毎日何本もの道を「自分で」選択しながらココまでやって来ています。
本心が望む道を選択していくことが、しあわせであるために大切なこと。
ですが、ネガティブ思考グセがある場合、それが決断力をにぶらせます。
自分が選びたい道が見えていて、それを採用することが自分にとって大切であると分かっていても、
失敗に対する「恐れ」や「不安」を優先させて、決行できなくなってしまいます。
場合によっては、ちょっと不安を感じただけで「やめとく」という選択をします。
ここにあげたのは、ふだん口グセみたいに使ってしまい、自分の決心を停滞させる表現たちです。
自分の負の思考にウンザリしているなら、口から出すコトバにも注意を払ってみるとよいですよ♪
Table des matière
「決断する勇気をもつ」そのジャマをする口グセ3つ
1「うん。けど…」他人に意見を求めるフリ。
自分で確信をもって決断する自信に欠ける場合、一応他人の意見もきいて参考にしようとします。
でも、相手に意見を求めときながら「そうだよね…けど…」と返答する。
これでは意見をきかれて答えた方も、「なんだ、わたしの意見きかないんやん。じゃあ、好きな様にすれば?」になってしまいます。
モノゴトが決して前進しない表現の代表。
おまけに使えばつかうほど、どんどん臆病になり、自分で自分のしたいことも決められない状態になります。
この表現の裏では、本当に自分が選びたい道は、すでに自分の中で見えているのです。
ただ決断する勇気がなくて、誰かに励ましてもらおうと思って他人に意見をきくのですが、勇気は他人がくれるものではないです。
自分が「私」にあげるものです。
もし、相手の意見で決断できたと思っても、それは結局「自分が」決断したのです。
相手に責任はありません。
2「でももし…」不確かなリスクの世界にひたる。
先を予測して、もしもの場合の「明確な」対応手段を用意しておくのは良いことです。
モノゴトにアタックする際の不安を、少しだけ減らせます。
でも人生、モノゴトは予測しているようには進みません。
なにかを実行に移そうとしているときに、
「でももし、こんなこと言われたら…」「でももし、うまくいかなかったら…」という、相手が「とにかくやってみ!」という返事しか出せないコトバは、自分の不安を増幅させる効果しかないのです。
悪い結果を頭にチラつかせても 、それを期待してるようなもの。結果が良くなるってことではありません。
ステージに出たりする場合など、腹がくくれてないと緊張の暴走問題になったりもします。(←私です。)
「でももし…」が口からでそうになったら、「なるようになる、やるだけ。」と決心の言葉に置きかえます。
決心は大事です。
3「あのときは…」過去にとどまる。
自分のために、今なにかを決断するとき、過去の思い出にひたってしまう。
「あのときは、こうだったんだよね…」「あのときは、こうしたんだけど…」
聞き手が「で、今回はどうしたいの?」と聞くにいたる発言は、人生を謳歌しようとする自分の足を、自分で引っ張ってジャマしている状態です。
自分では、正しい道を選ぶために過去を分析してるつもりなんだけど、実際は無意味に過去に引きこもっています。
決断する勇気は、過去に引きこもっていても得られません。
でもほんとは、決断に勇気はいらないんですね。
「自分はどうしたいのか」その道をとればいいんです。
リスクのない選択はないです。
不安や恐れを栄養にするイジワルなワタシに本心を食われて、自分の望まない自分自身を得るリスクよりは、
本心がのぞむ道をえらんで、モノゴトなるようになるリスクをとる方が楽しいです。
モノゴトって案外なんとかなる。
わたしが当たり前のように使っていた表現、「うん、そうなんだけどね… 」。
ある日、例の超ポジティブな友人に言われます。
「答えでてるやん。なんで悩むんよ。」
そう、答えでてるんです、自分がどうしたいのか。
コトバは思ってる以上に、すり込みパワーがあります。
ネガティブなことを口グセのように使っていると、気づけばドップリその思考に染色されています。
本人がしんどいのは当たり前で、それを聞いている相手もよっぽど心が筋肉質でないかぎり、しんどくなってきます。
決断し行動することに、不安や恐れを感じるのは自然なことです。
でもその負の感情に流されて、幸せをつかもうとしてる自分を見捨ててしまう。
自分が本当にしたいコトは、しあわせになろうとする自分の足を引っ張るコトではないはずです。
モノゴトは、なるようになります。
余計なことを考えず決行してしまえば、案外なんとかなってしまうものです。