この夏は、南仏カタリ派ゆかりの地である、コルビエール山脈を訪れました。
カタリ派の里において、城塞都市「カルカソンヌ」と、5つの城砦「アギラ城・ペイルペルテューズ城・ケリビュス城・ピュイロラン城・テルム城」は名所です。
今回は城塞のうち、もっとも人気の「ペイルペルテューズ城」を紹介します。
Table des matière
中世軍事建築の至宝「ペイルペルテューズ城」
ペルピニャンから車で1時間くらいの山の中。
城は標高800mにあり、朝9時から入場できます。
敷地は全長300m、幅50m、東西の高低差280mと険しいので、見学に最低1時間半は必要です。
しっかりした靴を履き、水分を持って、いざ出発。
↑東側のサンジョルディ天守閣から西への眺め
この城の歴史は古く、紀元前1世紀ごろの人跡が確認されています。
そして、記録に残る最初の城塞工事は、12世紀のアラゴン王支配下でした。
13世紀にはギヨーム・ド・ペイルペルチューズの領地でしたが、アルビジョワ十字軍によるカルカソンヌ陥落後にフランス王室へ譲渡され、さらに大規模な城塞化工事が施されます。
↑石の祭壇が妙に怖かった「サント・マリー礼拝堂」 (1115年以前設)
↑8合目で挫折下山するも、2度と来れないと思いリベンジ。
結局2往復もした難所「サン・ルイの階段」(1242年設)
↑階段で息切れしすぎて、あまり覚えてない最上階の絶景「サン・ジョルディ礼拝堂」(1251年設)
辛い歴史を辿ったカタリ派
↑ラングドック地方の象徴オクシタニア十字。
カタリ派結集のシンボルでもあった。
カタリ派は、フランス南西部で10世紀中から13世紀中まで活動したキリスト教の一派で、旧約聖書や教皇の権力を認めず、極度の禁欲と二元論を唱えたため、異端とされました。
そのため、1209年、ローマ教皇がフランス国王に要請したアルビジョワ十字軍により、カタリ派は弾圧を受け始め、つらく悲しい歴史を辿ることになります。
カルカソンヌ陥落を始め、1240年にペイルペルチューズ城陥落、1244年にモンセギュール城陥落、1255年ケリビュス城陥落と、カタリ派を擁護した領主たちの城は、完全に十字軍の手に落ちました。
この歴史から南仏ラングドック地方は「カタリ派の里」と呼ばれますが、実際カタリ派が城に居たのは、城の長い歴史の一部。ほとんどは、フランスとアラゴンの取り合いの歴史でもあります。
ちょっと寄り道「ガラミュス渓谷」
↑渓谷の岩肌に張り付くサン・アントワーヌ礼拝堂
ペイルペルチューズ城から車で40分のところに、ガラミュス渓谷はあります。
500mを超える石灰岩壁の谷底を流れるアグリ川は、川の造形が独特で、キャニオニングなどのアクティビティを体験することができます。
私はもう新しいスポーツに挑戦する年でもないので、駐車場から徒歩で20分の所にある、サン・アントワーヌ礼拝堂にだけお邪魔しました。
でもこの礼拝堂が素晴らしかった!!
↑礼拝堂の入り口
15世紀にフランシスコ会の修道士が、洞窟を礼拝堂に改造したそう。
なんとも素敵なアイデアですね。
内部は神秘とスピリチュアルな空間が広がります。
↑外気温は36℃でも、内部は冷んやり冷たい。
南仏も年々猛暑日が増えており、今回の旅行は運悪く、連日気温が36度の酷暑週間に当たってしまいました。
そのため、尾根沿いにある城塞の訪問は、炎天下を避けるために、朝イチで済ませねばならず、かなり予定を変更。
数ある城塞も、人気の2ヶ所だけに絞りました。
まあ、基本どの城も似た感じなので、それで十分だったと思います。
次回は「ケリビュス城」の報告です。
それではまた♪